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プロフィール

春

Author:春
 ・・・
1日1ページは読書しようで
成功をどんどん引き寄せている♪

信念を持って取り組めば奇跡を起こせる☆

人間の能力は無限だ!!!

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今日も一日素晴らしかった♪

良き事が雪崩の如く起きます♪

今日もいい天気♪


-天気予報コム- -FC2-

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 スタンフォード大学学長が主催して開かれた昼食会の席で、ジョブズはノーベル賞を受賞した生物学者のポール・バーグからいろいろと話を聞いた。

 今後の人生ですべきことを模索していた1985年8月、また会えないかとバーグに連絡を入れる。
 生物学では実験が大変なこと、実験を1回おこない、その結果を得るのに数週間もかかる場合があることなどをバーグが語ると、「コンピュータでシミュレーションされたらどうでしょう」と提案する。
 そういうシミュレーションができるコンピュータは高すぎて大学では買えないと説明したところ、「大きな可能性に気づいたスティーブは、急に目の色が変わった」とバーグは語る。

 9月13日、アップルの取締役会でジョブズは新会社の構想を話した。
 新会社がアップルと競合することはありえない。
 社員は何人か連れていくが、人数も少ないし重要な役職についていない者ばかりだ。
 アップル会長の職を辞してもいい。
 ただ、今後も協力してゆけたらと思っている。
 この話に取締役会は好意的な反応を示した。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 実権を持たないアップルのお飾りになってしまったジョブズさんが、今後の人生ですべきことを模索するというのは、生き方を真摯に考えていて素晴らしいです。
 ジョブズさんの素晴らしいところはすぐに行動するところです。
 良いと感じたらすぐに行動するところです。

 それは、アップルを裏切るとかいう問題ではなく、「宇宙に衝撃を与えることをしたい」という願望からだと思います。

 宇宙に衝撃を与えるようなことができる人は限られます。
 ジョブズさんはその一人になろうとしていたところがすごいところです。

 私は小さなことからコツコツと頑張ります。
 目の前の人、周りの人、関わる人に喜んでもらえることをします。
 それが、ペイ・フォワードのように広がっていくことを願っています。
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 それから数日、ジョブズは自宅にこもった。
 床に座り、何時間もボブ・ディランのテープを聴く。
 とくに「時代は変わる」を繰り返し聴いた。
 最後が「今日の敗者も/明日は勝者に転じるだろう・・・・・」というあの歌である。

 自分はまた捨てられたと感じてしまう。
 ジョブズ本人は、のちにこう表現しています。
 「強烈なパンチを食らい、空気が肺からたたき出されて息ができなくなった・・・そんな感じだった」

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 だるまで有名な高崎の生まれの私は「七転び八起き」と子供の頃よく思いました。
 知り合った頃、主人は「ネバーネバーギブアップ」と言っていました。
 美空ひばりさんは「今日の自分に明日は勝つこと」と言っていました。
 「今日の敗者も明日は勝者に転じるだろう・・・」も勇気が湧いてくるいい歌です。

 言葉や音楽や映画や好きなもので疲れた心を癒し、励まされ、勇気が湧いてきます。

 私は、可愛い動物の動画を観たり、ゆったりした音楽を聴いたり、楽しいお笑いの動画を観たりしながらコーヒーを飲みます。
 一服したあとは、疲れた脳も心も元気になって勉強も仕事も効率がとてもいいです。
1127誕生日前祝

 主人の「もうすぐ誕生日会」をしました♪
 車も来たのでダブルで乾杯です♪
 自分のほうがうまく経営ができると断言したジョブズに対し、スカリーは賭けに出る。
 幹部会議で出席者の意見をたずねたのだ。
 皆、次々とスカリー支持を表明する。
 自分のオフィスに戻ったジョブズは、忠実なマッキントッシュの古参スタッフを集め、自分はアップルを辞めるしかないと涙ながらに伝える。

 5月28日、スカリーは、取締役全員に支持を確認したあと、ジョブズにだめ押しの電話をいれる。
 ジョブズが溺愛するマッキントッシュも、ほかの製品も、ガゼーが引き継ぐ。
 ジョブズが担当する部門はない。
 会長にはとどまることができるし、実権はないがプロダクトビジョナリーにもなれる。
 ジョブズも認めざるをえなかった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 創設者が永久に実権を握れるとは限りません
 大株主が永久に実権を握れるとは限りません。

 スカリーとジョブズの性格の違い、経営方針の違いから始まった不仲で対立し、実権を譲らなければならなくなってしまいました。

 老舗家具屋さんでも経営方針の対立から親子で社長の座を争い、創設者の会長は退任することになりました。
 社長完全交代後、売上高は1.7倍に急上昇しました。

 創設者が、実権を失い会社を退くときの寂しさや敗北感は、言葉では言い尽くせない思いがあるでしょう。
 取締役会や株主会など、自分の力で動かすのは難しいものもあります。
 「潔く退いて次の道を探せばいい」と思えるまで時間がかかることと思います。
 一緒にアップルを創設したウォズさんが退いたときの気持ちを、ジョブズさんはこのとき痛切に感じたのではないでしょうか。
 たくさんのマッキントッシュを売るのがミッションだとするジョブズに対し、スカリーは、アップルという会社全体の利益に質することだと主張した。

 アップルはコンピュータを中国に輸出する権利を獲得し、この調印式にスカリーが行くと言い出した。
 ジョブズはこのあいだにクーデターを起こそうと考えた。

 1985年5月23日、毎週木曜におこなわれるマッキントッシュ部門の上層部の会議で、スカリー追放の計画と会社の再編について側近たちに話をした。
 
 「明日、中国に出張したら、あなたは追放されるかもしれない。あなたを排除する準備をスティーブが進めているのです」とガゼーはスカリーに話した。

 5月24日、スカリーは出張を取りやめ、金曜朝におこなわれる定例の幹部会議でジョブズと対決することにした。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 クーデターの計画が失敗したのは、ジョブズさんに対する信頼よりもスカリーさんに対する信頼のほうが強かったからです。
 信頼貯金をたくさんにするためには、崇高なミッションや仕事ができるだけでは足りません。

 仕事で信頼される人間になるには、誠実さ、専門知識、実績、タイミング、チャンスを生かす力が必要です。

 子どもたちに薦めていることがあります。
 まず、実績を見せようと思って毎月実績報告をしています。
 先に充分経験していれば子どもたちにアドバイスすることができます。
 1985年3月の売り上げが予算の10パーセントなど、期待はずれの状況が続き、ジョブズはオフィスにこもってうなったり社内をうろついて当たりちらしたりしていた。
 気分の変動が大きく、当たり方はひどくなる一方だった。
 中間管理職から反発の声があがる。
 
 4月11日の取締役会でジョブズにはマッキントッシュ部門のトップから辞任し、新製品開発に集中してもらいたいとスカリーは正式に提案した。
 取締役会は全会一致で支持し、適切だと思うタイミングでジョブズを現職からはずす権限をスカリーに与えた。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 うまくいかないときは自分が試されているときです。
 売り上げが悪かったら、何をしたらいいかを考えるいいときです。
 
 主人には、・・・・・・したいという夢がありました。
 2013年、それを現実にするために計画を立てました。
 いつまでに、いくら必要で、そのためには毎日、毎月、毎年、どうしたらいいかを考えました。
 ゴールから計算する方法は、目標達成を具体的にするために必要です。

 現状の生活を変えることで、ゴールから計算した毎月の目標を達成するようになりました。
 うまくいかないからと、当たりちらしていたら目標達成はできません。
 さまざまな理由でジョブズとスカリーの関係にひびが入りつつあった。
 スカリーはマッキントッシュの価格を高く保って出そうとしたのに対し、ジョブズはもっと買いやすくすべきだと考えたなど、事業戦略の相違もあった。
 ジョブズにとっての問題は、スカリーが製品に興味を持たないことだった。
 スカリーにとっての問題は、求愛や操縦の必要性がなくなったジョブズが、下品で自分勝手、他人に意地悪と、とても不快な言動をしょっちゅう示すようになったことだった。

 この混乱は取締役会でも問題となり、1985年のはじめには、アーサー・ロックら、事態を重く見た取締役がふたりに指導をおこなった。
 自分のオフィスに戻ったジョブズは、マッキントッシュに向かい、
 「ほかの部署を批判しないこと。ほかの部署を批判しないこと・・・・・」と、黙々とタイプしたという。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 悪いと思っていてもついやってしまうことはあるものです。
 ジョブズさんも失言をしてしまってから後悔することがあったのではないでしょうか。
 「ほかの部署を批判しないこと。ほかの部署を批判しないこと・・・・・」と、黙々とタイプして苛立ちを押さえながら心に刻み込んだのだと思います。

 我が家には目標を描いた宝地図が目につく所にあって、いつも目標を意識しています。
 信念が曲がりそうになっても、「ヨーシ、がんばるぞー」とやる気が出ます。
 黙々とタイプするのもいいかもしれないけれど、宝地図のように目につく所に意識したいことを貼っておくのは良い方法です。

 批判する前に「どうしたらもっといいか」と代案を考える習慣をつけたいと思います。
 1985年ジョブズの誕生パーティーのころ、ビュレル・スミスも円満退社した。
 その直後に、マッキントッシュの優秀なエンジニア、ブルース・ホーンも辞めた。

 この月最大のニュースは、アップルの共同創設者、スティーブ・ウォズニアックの離職だった。
 ジョブズは、ウォールストリートジャーナル紙のニュースでウォズニアックの退社を知ることになる。

 それからわずか10日ほどあと、ウォズニアックとジョブズは、第1回のナショナル・テクノロジー・メダルを受け取りにホワイトハウスに出向いた。
 ジョブズとウォズニアックはふたりだけで歩き、サンドイッチショップで夕食をともにした。
 年俸2万ドルのパートタイム社員としてアップルにとどまり、会社の顔としてイベントやトレードショーに参加することに同意した。
 これですんなり行くかと思われたが、すべてを水に流すことができないのがジョブズだ。
 アップルのデザインをしていたフロッグデザインを訪問の際、ウォズニアックが開発していたリモコンのデザインスケッチを見たジョブズは激怒。
 コンピュータ関連プロジェクトではアップル以外と仕事をしないという契約条項を守れとフロッグデザインに迫る。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 アップルから仲間が次々と辞めていってジョブズさんは寂しかったことと思います。
 良い仕事は、たくさんの良い仲間が必要です。
 だから、気持ちの通い合う人間関係が大事です。

 以前勤めていたアパレルメーカーの社長はあまりワンマン社長でした。
 私は結婚、妊娠を期に辞めたのですが、その後次々に社員が辞めていき会社は倒産しました。
 人を大切にする会社に勤めたいというのは誰もが思うことです。
 1984年、マッキントッシュが発売されたあと、アンディ・ハーツフェルドはしばらく休職した。
 充電も必要だったし、きらいな上司のボブ・ベルヴィールから逃げたいと思ったからだ。

 休職期間が終わりに近づいたとある夕方、オフィス近くのイタリアンレストランへと、ハーツフェルドとジョブズは歩いていた。
 「戻りたいという気持ちはとても強いのですが、どうにも状況がよくないように感じます」
 「ソフトウェアのチームはやる気を完全になくしていて、もう何カ月も成果が出せていないに等しい状態ですし、ビュレルもすっかり気落ちして年末まで持たないのではないかと思うほどです」
 「なにをばかなことを言っているんだ!マッキントッシュチームはいい仕事をしているし、僕は人生最高の時間を過ごしている。おまえはなにもわかっちゃいない」
 「本当にそう信じておられるのであれば、私が戻る話はないと思います。私が戻りたいと思うマックチームはもう存在さえしていないということですから」
 こうして、ハーツフェルドは復職を取りやめた。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 社長に問題が起きていることを報告しても意味がありません。
 「問題が起きているからこうしたい」と言う方がいいです。
 常に改善を目指して、常に良い方法はないかと考えるのがいいです。
 もし、ハーツフェルドさんが提案を話していればジョブズさんの態度は違ったのではないかと思います。
 
 我が家には車が1台しかありませんでした。
 車を使う予定があっても、主人に車を使う予定が入ると私の予定を変更しなければなりませんでした。
 そういうことが何回かあったので「車欲しいー」と言いましたが、主人のいい反応はありませんでした。
 ネットで燃費などいろいろ調べて「この車どうかな?」と主人に話しました。
 すると今度はいい反応でした。
 やはり、提案の仕方が大事です。
 1985年2月、ジョブズは30歳の誕生日を祝うため、サンフランシスコのセンフランシス・ホテルのボールルームに1000人を集め、黒いタイにテニスシューズというフォーマルかつやんちゃなパーティーを開いた。

 プレゼント選びに困る相手だったが、皆、頭を絞って特別な贈り物を選んでいた。
 しかしジョブズは、もらったプレゼントをすべてホテルの部屋に置いてきてしまう。

 言葉を選ぶようにゆっくり、ジョブズはデービット・シェフ(記者)に語った。

 僕はこれからもずっとアップルとつながっているはずです。
 タペストリーのように僕の人生という糸とアップルの糸が絡んだり離れたりする・・・そういう人生になったらいいなと思います。
 アップルから離れる時期があるかもしれませんが、でも、いつか必ず戻ります。
 実際、そうしたほうがいいのかなという気もしています。
 僕という人間について念頭に置いておいていただきたいのは、僕はまだ学んでいる段階、ブートキャンプでしごかれている段階だということです。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 せっかく頂いたプレゼントをホテルに置いてきてしまうような人は、まだまだ学んでいる段階の人です。
 天才でもカリスマでも人の心を大事にしてほしいものです。

 私の気持ちを察してくれるとてもいい方とお友達になりました。
 私のフロランタンとチョコレートブラウニーをとても気に入ってくれて、かるかんを作る山芋を持ってきてくれました。
 「かるかんを作ると卵黄がたくさん余るのでプリンを作ります」というと、「プリンのレシピをください」と言われました。
 さっそく印刷してさしあげると、翌日、「作りました。とてもおいしいのができました」と言って来ました。
 私が柚子のお菓子を作りたいと言っていたので、袋いっぱいの柚子を持ってきてくださいました。

 Mさんは頂いたものを大切に活かす素晴らしい方です。
 1984年の第2四半期、発売に伴う興奮が収まると、マッキントッシュの販売は急激に落ち込みはじめる。
 根本的な問題があったからだ。
 すばらしいコンピュータではあったが、同時に処理能力不足で嫌になるほど遅いコンピュータでもあり、その点はなにをどう宣伝しても言いつくろえるものではなかった。

 マックにはハードディスクドライブが内蔵されていないのも問題だった。
 そういう記憶装置が必要だとジョアンナ・ホフマンは主張したが、ジョブズは「ゼロックス病」だと取り合わなかった。
 結局、マッキントッシュに用意されたのはフロッピーディスクドライブが1基だけ。

 ファンもなかった。
 コンピュータの静けさを損なうとジョブズが意地でもファンを付けさせなかったのだ。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 パソコンは軽快にサクサク動くのがいいし、外部入力端子がいくつかあるのがいいです。
 surfaceは、USBの穴が1つしかないので同時に2つつなげないので不便です。
 SDカードの穴もないのでデジカメのSDカードを差し込めないので入力に不便です。
 反応が良すぎて勝手に違う判断をしてしまうときがあるので、「そういうつもりではないんですけどー」とパソコンにつぶやいたりします。
 軽快さもあって使い勝手の良いパソコンがいいです。
 パソコンはもっともっと伸びしろがあります。

 そういえば以前のパソコンは「ウィーン」と音がしていましたが、最近のパソコンはまったく音がしません。
 知らない間に改善されたものを使っていたんですね。
 感謝します。
1119コンクリート舗装

家の入口が坂になっていて、車の下をたまにこすることがあるのでコンクリートで傾斜を緩やかにしようと思いました。
主人のお父さんに材料などを尋ねると「砂を持って、行ってやるよ」と言われました(^▽^)

材料を購入
砂利18㎏×16袋
セメント25㎏×3袋
砂たくさん(お父さんから)

雨が続いて心配しましたが見事に晴れました。
お父さんが来る前に、一人で朝9時から掘り始めました。
ポタポタと汗をかきながら、慣れない鍬を持って掘りました。
10時過ぎにお父さんたちが来て、私はお手伝いになりました。

午後3時ころ完成しました♪☆
 欧州出張で最大の問題となったのは販売予測だった。

 現実歪曲フィールドをまとったジョブズは、常に、予測値を高くするように部下に強いる。
 最初にマッキントッシュの事業計画を作成したときもそうだったし、欧州出張でも繰り返しそうした。
 予測値を引き上げなければ製品を供給しないと、欧州各国のマネジャーを脅して歩いたのだ。
 現実を見なければならないとするマネジャーらとの仲裁は、ホフマンがやるしかなかった。

 ジョブズがフランスのマネジャー、ジャン=ルイ・ガセーと知り合ったのもこの出張だった。
 ガセーは、この出張でジョブズにたてつくことのできた数少ない人物だ。

 「彼には彼の真実があるわけです。ジョブズに対応するには、やられる以上にやり返す。これしかありません」
 販売予測の数字を引き上げなければ製品の供給を絞るとジョブズに脅されたとき、ガセーは怒った。
 「胸ぐらをつかんで黙れと言うと、矛を収めてくれました。私も昔はよく怒っていました。元罵倒中毒者なんですよ。だから、スティーブが同類だとすぐわかりました」

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 現実歪曲フィールドは自分を高めるには必要なことだと思います。
 けれど、相手に対しての度を過ぎた期待は理解されません。

 子供に「あーなってくれたらいいなぁ。こーなってくれたらいいなぁ」と期待したりしますが口には出しません。
 私の行動を見て何かを感じてくれたらいいなぁと思っています。
 北風より太陽になりたいと思います。

 「やられる以上にやり返す」というよりも、「してもらった以上のことをしてあげる。期待以上のことをする」を心がけたいと思っています。
クレープ03 クレープ04

もちもちして美味しいクレープの皮です☆
キャラメルチョコレートを入れたのも美味しかったし(^-^)
チョコレートソースを入れたのも美味しかったです♪
ラップに包んで冷凍して、バドミントンの試合の差し入れにする予定です♪
 
 クレープ05

♪材料(直径16㎝で10枚)
薄力粉・・・・・・・・・・100ℊ(カップ1)
三温糖・・・・・・・・・・12ℊ(大さじ1)
牛乳・・・・・・・・・・・200ℊ(カップ1)
卵・・・・・・・・・・・・1個

キャラメルチョコレート
チョコレート(細かく刻む)・50ℊ
三温糖・・・・・・・・・・45ℊ
生クリーム・・・・・・・・60㎜

ホイップクリーム
生クリーム・・・・・・・・140㎜
三温糖・・・・・・・・・・小さじ2
ホワイトラム酒・・・・・・小さじ1

バナナ(1㎝の厚さの斜め切り)・1本
トッピング用粉砂糖・・・・・・小さじ1

チョコレートソース(お好みで)
チョコレート(細かく刻む)・50ℊ
生クリーム・・・・・・・・60㎜

♪作り方
① ボールに薄力粉を裏ごしして入れて、砂糖を加えて泡だて器で混ぜてから牛乳を半分入れて混ぜる。
② ①に卵を入れて混ぜて、残りの牛乳を入れて混ぜてラップをして冷蔵庫で1時間休ませる。
③ よく熱したフライパンに油を引いて中火にして一旦火かおろして、生地をお玉で半分くらいフライパンを傾けて流しいれて薄く広げて中火で焼く。ふちが薄茶色になってきたらパレットナイフではがして裏返して10秒ほど焼く。油を引きながら続けて焼く。
④ フライパンに三温糖を入れて中火で煮詰めて黄色くなってきたら、フライパンを大きく傾けたりゆすったりしながら煙が出てきたら火を止める。
⑤ ④に生クリームとチョコレートを加えて耐熱ゴムベラで混ぜる。
⑥ ボールに生クリーム、砂糖、ホワイトラム酒を入れてハンドミキサーで混ぜてホイップクリームを作る。
⑦ お皿にクレープ生地を広げ、キャラメルチョコレートを塗りホイップクリームとバナナをのせて包んで粉砂糖をかける。
 クレープ01 クレープ02
 
⑧ チョコレートソースを作る。ボールに刻んだチョコレートを入れて湯煎で溶かし、生クリームを少しずつ加えて混ぜる。キャラメルチョコレートの代わりにチョコレートソースにしたり、チョコレートソースをクレープにかけたりする。
 ジョブズの美的な情熱と支配欲は、フリーモントに最新鋭のマッキントッシュ工場を造った際、ピークに達した。

 ジョブズ本人に「工場の見た目にどうしてそこまでこだわるのか」とたずねたところ、完璧を求める情熱をかき立てるためという答えが返ってきた。

 工場にゆくと、白い手袋をはめてほこりをチェックするんだ。
 ほこりはいたるところにあった。
 だから、きれいにしろとデビに指示した。
 工場の床に直接食べ物を置いて食事ができるくらいすべきだと言ったんだ。
 
 いま思うと、日本で見た光景に強い影響を受けていたんだ。
 日本のすばらしいところであり、僕らの工場にかけている点は、チームワークと規律だと僕は思う。
 工場をきれいに保てるだけの規律がなければ、あれだけのマシンをちゃんと動かせるだけの規律もないってことなんだ。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 パナソニック系列の会社で働いたことがあります
 クリーンルームでチップの検査をしていました。
 クリーンルームには、外気やほこりの侵入を防ぐ装置の付いた部屋を通って入りました。
 毎朝、機械まわり、机の上、窓ガラス、すべてピカピカに磨いて仕事が始まりました。
 日本の会社のそういうところにジョブズさんは感心したのかもしれません。

 試験勉強を始める前に片づけを始めてしまうことがあります。
 散らかった部屋や机ではやる気が出ないからです。
 まず、きれいに整理して気持ちよく始めると効率がいいです。
 マッキントッシュの発売でジョブズはそれまで以上に有名人になった。
 スカリーもジョブズの権限縮小をやめ、逆に強化する方向に動きはじめた。
 リサ部門とマッキントッシュ部門をひとつにまとめ、そのトップにジョブズを据えたのだ。

 ジョブズが優しくなることはなかった。
 重要な役職は、すべて、マッキントッシュ側のリーダーたちに与え、リサ側スタッフの4分の1は解雇するというのだ。

 ジョブズを喜ばせ、彼の手腕を尊重したほうがその逆よりもよいとスカリーは考えたわけだが、その判断は正しかった。
 問題は、権限を他人と分け合う気がジョブズにないと気づかなかったことだ。

 ジョブズは他人に従うタイプではない。
 すぐに、会社の経営方針に対しても口を挟むようになった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 上司が厳しかったことは何度もあります。
 けれど、数年経ってまた会いたいと思う上司は、自分を認めてくれた上司や、親身に相談にのってくれた上司です。

 ある会社で、受注と出荷依頼と出荷手配の仕事をしていたことがあります。
 仕事を始めた頃、引き継いだ仕事はシステム化されていませんでした。
 私は社内いじめにあいながら、古い伝票をめくって送り先住所を探したり、受注製品が間に合うか確認するのに時間がかかったりしていました。

 私は、上司に伝票を持ち帰ってよいか承諾を得てから箱に入れて持ち帰り、寝る時間を割いてパソコンに整理しました。
 数日かけて、エクセルで数枚の表を完成させました。
 いつも東京から来た社長から叱咤されていた課長は、私が完成させた表を見せました。
 社長は私の作った表を、東京の本社で回覧板にして回したそうです。
 
 私の立場は変わることはありませんでしたが、いい仕事をしたと満足しています。
 社長は元気かな?
 いい仕事をしたと思うけれど、社長に私の記憶は残っているかな?
 ジョブズは激高した。
 「ゲイツを呼べ。いますぐだ」
 ゲイツが会議室に招き入れられた。
 
 会議室で対決したあと、ゲイツは、ウィンドウズにすべく開発中の技術のデモをジョブズだけに提供した。

 マイクロソフトには、マッキントッシュ用ソフトウェアの開発を続けてもらう必要もあった。
 訴えるとのちにスカリーが脅しをかけたことがあるが、そのときマイクロソフトはワード、エクセルなどのマッキントッシュ版を中止すると応酬。
 それはアップルの死を意味するので、スカリーも降伏文書にサインをせざるをえなかった。

 アップルのグラフィカルな外観をウィンドウズで使用する権利をマイクロソフトに供与し、その見返りとして、マイクロソフトはマッキントッシュ用ソフトウェアの開発を継続するとともにエクセルについては独占期間を設けることとなった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 開発の陰で、両者の利害が一致して協定が結ばれました。
 利害が一致するというのは、少しでも自分が得していると思わせることでもあります。

 若い頃は自分が得することばかり考えてきましたが、次第に得してもらおうと考えるようになりました。
 
 先日は、採りたての新米を頂いたので、それで「銀杏の炊き込みご飯」を作ってお返ししました。
 ちょと喜んでもらおうと思ってデザートも添えました。

 先日、バドミントンの方たちと飲み会があったので、いつもお世話になっているみなさんにフロランタンを作って持って行きました。
 「奥様のお菓子が美味しいこと聞いていました」と喜んで言われました。
 私の知らないところで私のお菓子が評判になって、「いつか食べられるのじゃないかと楽しみにしていた」と思っていたそうです。
 まわりめぐて私のところに喜びの声が伝わってきてとても嬉しかったです。

 「もちつもたれつ」を大切にしていきたいです。
1113裁断

11月12日の夜遅くなってから、いいアイデアが浮かんでチュニックが作りたくなりました♪

13日、4時に目が覚めて、型紙を作り始めました。
午前中、裁断とミシンかけをして午後はバドミントンに行きました。

14日は一日中洋服作りをしました。

今朝(15日)も4時に目が覚めて、ボタンホールを作って完成しました♪

1115前 1115横 1115後

このジャケットとセットです♪

5ボタンホール 6後ろにリボン
 マイクロソフトは、DOSと呼ばれるオペレーティングシステムを開発し、IBMのコンピュータやIBM互換機にライセンスしていた。
 ゲイツも今後はGUIの時代になると信じていたし、ゼロックスPARCで開発された技術をアップルがコピーするなら自分たちもしていいはずだと考えてもいた。

 契約時、ジョブズは、1983年1月のマッキントッシュ発売から1年間、アップル以外にはグラフィカルソフトウェアを出荷しないという条件をゲイツに呑ませていた。
 失敗は、マッキントッシュの発売が1年遅れるという可能性を契約に織り込まなかったことだ。
 だからゲイツは、1983年11月、ウィンドウやアイコンを持ち、マウスが使えるGUIのオペレーティングシステム、「ウィンドウズ」をIBM PC用に開発すると大手をふって発表できたのだ。
 このときゲイツはジョブズのようなやり方で製品発表をおこなった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 GUI(グラフィカルユーザインターフェース)の時代とは、従来の文字の表記から絵の表記で直感的に操作できるようになることです。
 
 パソコン画面の多くのアイコンなどから、開発者やデザイナーの思いが伝わってきます。

 様々な技術が開発されて、そのアイデアを活用して新しいものを創り出す人がいます。
 ときには訴訟問題になることもあります。

 私は新しいレシピを考えるときは、ネットでいろいろ検索して参考にしていますが、コピーするだけでは面白くないので自分の好みの味に改善して主人に食べてもらいます。
 主人は率直に感想を言うので、それを参考にしてまた改善していきます。
 改善を重ねて、主人の「うーん!うまい!」の連発を聴いて、「やったー」また頑張ろうと思います。
 ふたりは、デジタル時代を二分するラインの両側に分かれた。

 ジョブズは完璧主義ですべてをコントロールしたいと望み、アーティストのように一徹な気性で突き進んだ。
 その結果、ジョブズとアップルはハードウェアとソフトウェアとコンテンツを、シームレスなパッケージにしっかりと統合するタイプのデジタル戦略を代表する存在となった。

 これに対してゲイツは頭がよくて計算高く、ビジネスと技術について現実的な分析をおこなう。
 だから、さまざまなメーカーに対し、マイクロソフトのオペレーティングシステムやソフトウェアのライセンスを供与する。

 エクセルやチャート、ファイルといったマイクロソフトのアプリケーションにアップルのロゴを付け、マッキントッシュとバンドルした状態で販売する予定だった。
 ところが、この取り決めにロータス社のミッチ・ケイパーなどソフトウェアメイカーが反発した。
 そのためジョブズは、マイクロソフトとの契約に書かれたとある条項にもとづき、バンドルをやめることにした。
 マイクロソフトは、消費者に直接、製品を販売しなければならなくなったわけだ。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 人は考え方が違って当たり前です。
 違った考えの人と、お互いの能力を最大限発揮してうまく調和していけばいい成果を上げそうです。

 私たちは、今日の結果を見ながらお互いの考えを言い合っています。
 見方はほぼ同じですが対応の仕方に性格が出ます。

 主人は慎重タイプですが、ときどき思い切ったことをします。
 私は節約タイプですが、「思い切ったことをするなぁ」と主人が思うことがあるかもしれません。

 お互いに理由を言って「そういう考え方もあるよね」と相手の考えを否定せずに理解し合います。
 相手の意見やアドバイスを参考にして、どうするかは自分の判断で決めます。

 違う考え方を聴くので学ぶことが多いです。
 ですから、私たちが目標を達成する速度は普通より数倍速いはずです。
 互いの重力に引かれてふたつの星の軌道が絡み合ったとき、それを天文学では連星と呼ぶ。
 歴史をふり返ると、連星と同じように二人のスーパースターが絡み合い、張り合った結果、ひとつの時代が生まれたことが何度もある。
 アルベルト・アインシュタインとニールス・ボーア
 トーマス・ジェファーソンとアレクサンダー・ハミルトン
 ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズ

 ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズは技術と事業の融合という似たような願望を抱いていたが、育ちもかなり違えば性格はまったくというほど違っていた。

 両者とも無作法な態度をとることがあるが、ゲイツの場合、手厳しい言動もその原因は感情的な冷たさよりも知的な鋭さにあり、個人攻撃的な意味合いが薄い。
 ジョブズは燃えるような激しさで相手の目を見つめる。
 ゲイツはアイコンタクトが苦手だが、他人には基本的に優しい。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 私と主人が出会ったとき、お互いのタイムリミットが同じでした。
 食べ物の好みや、考え方や、話すテンポまで同じでした。
 そして入籍日は、偶然に主人のお母さんの誕生日になりました。

 娘とご主人は、誕生日が同じです。

 互いの重力に引かれてふたつの星の軌道が絡み合った連星なのかなと思います。

 私たちの出会いに感謝します。
 ゲイツさんとジョブズさんの出会いに感謝します。
 スティーブ・ジョブズは、製品発表の名人として有名である。
 一部はレジス・マッケンナから学んだ手法だが、ジョブズはもともと、どうすれば、興奮をあおる、ジャーナリストの競争心を操る、独占取材と引き換えに豊富な報道を得ることが可能になるのか、直感的にわかってもいた。

 発売記念イベントとなるのは、8日後の1月24日にデアンザコミュニティーカレッジの講堂で開催されるアップルの株主総会だ。
 熱狂的なファンやジャーナリストの前でファンファーレとともに製品の紹介をおこなう・・・これこそ、テレビ広告と爆発的報道に続く第3の要素、新製品の発表を世界史に残る瞬間であるかのように見せる、スティーブ・ジョブズの台本を構成するもうひとつの要素である。

 会場は大騒ぎとなった。
 大喝采は5分ほども続いた。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 新製品が発売されて本当にそれが欲しければ、その製品の研究をすることのほうが多い私は、発売記念イベントに行っても夢中になることはありません。
 かえってイベントにコストをかけることに疑問を感じてしまいます。
 私の脳は商業用にできていないのかもしれません。

 先日○が欲しくなってネットで一日中調べました。
 そして、その日のうちに主人に承諾を得て、翌日、現物を見て購入しました。

 自分で充分調べて、ワクワクするものを選びました。
 情報を選択できる時代、広告もイベントも私の判断基準ではありません。
 マッキントッシュの発表について計画を練りはじめた1983年春、ジョブズは、製品と同じくらい革命的で驚くようなコマーシャルが欲しいと思った。

 案として持ってきたのは、キャッチフレーズ「1984年が『1984年』のようにならない理由」だった。
 できたのは、SF映画のワンシーンかと思うようなストーリーだ。

 1983年12月、取締役会においてCMを上映した。
 室内は反対一色だったとスカリーは言う。

 第18回スーパーボウルはロサンゼルス・レイダースがワシントン・レッドスキンズを圧倒し、第3クォーターの前半にもタッチダウンを奪う。
 その直後、リプレイ映像が流れるはずの場面で米国中のテレビがブラックアウト。
 2秒後、おどおどろしい音楽が流れ、行進する男たちのモノクロ映像が不気味にスクリーンを満たす。
 全米で9600万人以上が、それまで見たこともないタイプのCMに見入った。

 その晩、全国ネットの3大テレビ局すべてと50の地方局がこの広告をニュースで取り上げた。
 ユーチューブ登場前の時代、これほどの拡散は信じられないレベルだった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 センセーショナルなコマーシャルは心に残ります。 
 30年前はコメント的なコマーシャルが多かったように思いますが、近頃はコマーシャルで感動することもあります。
 こういうコマーシャルを創る企業ならいい商品も作るのではないかと消費者に思わせます。
 我が家はテレビを見ないのでコマーシャルに動かされることはありませんが、くちコミを評価の基準にすることは多いです。
 いいお店があると聞けばすぐに行きたくなります。
 いいお店を知ればすぐに言いたくなります。
 拡散効果は大きいです。
 1982年販売台数はアップルⅡの27万9000台に対してIBM PCおよびそのクローンが24万台だった。
 これが、1983年には42万台対130万台と、IBMとそのクローンが急増する。

 このため、3カ月後の1984年1月に発売が予定されていたマッキントッシュに、土壇場での逆転勝利の期待が大きくのしかかっていた。

 ハードルがもうひとつあった。
 ハーツフェルドたち魔法使いがマッキントッシュ用コードを書き上げなければならなかった。
 しかし、その1週間前、とてもではないが無理だという結論になる。

 ジョブズは怒らなかった。
 そのかわり、ひんやりとまじめな声で、皆、すばらしい部下だ、だから必ずなんとかできると宣言する。

 今回も、ジョブズの現実歪曲フィールドが不可能を可能にする。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 「必ずなんとかできる」と自分に宣言し続けることです。

 主人のお母さんが急に様態が悪くなり、立つことも歩くこともできなくなって入院しました。
 これからずっと車いすの生活になってしまうのかと思いましたが、「それは困る。どうしても良くなってもらいたい」とみんなで考えました。
 リハビリ施設を調べたり、主治医と相談したり、本人に「またグランドゴルフができるようになろうね」と励ましたりしました。
 励ましが効いたのか、主治医の先生の方針がよかったのか、徐々に立つことも歩くこともできるようになってきました。
 リハビリ施設を利用してどんどん良くなってきています。
 先日は、車に25分乗って都城島津邸の見学に一緒に行くことができました。

 「必ずなんとかできる」と諦めないことだと思いました。
 マークラが交渉した結果、年俸は50万ドルにボーナス50万ドルで決着し、スカリーは1983年5月、カリフォルニアに到着した。

 ジョブズは、二人が似ているという感覚を強化してスカリーを操ろうとした。
 そして、操るにつれ、スカリーをさげすむようになる。

 スカリーはジョブズと違って礼儀正しい人間だった。
 だから、社員に対するジョブズの不作法なやり方についていけなかった。

 ふたりが大きく対立したのは、マッキントッシュの価格設定だった。
 もともと1000ドルの予定でスタートしたマシンだが、ジョブズの設計変更でコストが大幅にアップし、1995ドルで販売することになっていた。
 しかし、大掛かりな発売キャンペーンの計画をジョブズと進めたスカリーは、価格をもう500ドル引き上げる必要があると主張。
 結局、スカリーの主張が通ってしまう。

 価格設定をめぐる争いに負けた結果、ジョブズは、自分が作ってきた製品にも会社にも影響力を失いつつあると感じた。
 これは、追いつめられたと虎に思わせるのと同じくらい危険なことだった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 アイデアに対する情熱が共通でも、価値観が違えば対立が起きます。
 「妥協するな」がモットーのジョブズさんですから、価値観が違うのは許せなかったでしょう。

 1000ドルの予定でスタートしたマシンが最終的に2495ドルになってしまったことは、マーケティングの名手としては失敗なのではないかと思います。
 それは、二人が表向きだけ理解し合ったかのように話し合ってきた結果ではないかと思います。
 安価なマシンを多くの人たちに使ってもらいたいという最初の目標を見失ったのではないかと思います。

 パートナーとの良い関係を築くには心底理解し合う必要があります。
 1983年3月、セントラルパークを歩きながら、ジョブズが訴えた。
 「あなたしかいないと思うのです。あなたからなら多くを学べます」
 父親的な位置付けの人物と好んで付き合ってきたジョブズは、どうすればスカリーの自尊心と不安に訴えられるのか、よくわきまえていた。

 「スティーブほどの頭のいい人間にはほとんどあったことがありません。その彼と私は、アイデアに対する情熱が共通していました」
 「年俸100万ドル、契約金100万ドル、そして、うまくいかなかった場合の退職金100万ドルが必要だと彼に伝えました」
 ジョブズは大丈夫だ、最悪の場合、自分がポケットマネーで払うと回答。

 スカリーは最後の抵抗をつぶやく・・・やはり友だちとして、社外からアドバイスをするにとどめたほうがいいのではないか、と。
 「そう言うとスティーブはじっと足元を見つめ、重苦しい時間が流れました。そして、そのあと何日もわたしにまとわりつく問いを発したのです。『一生、砂糖水を売り続ける気かい?それとも世界を変えるチャンスに賭けてみるかい?』と」

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 共通する情熱を持っていることはパートナーとして必要なことです。

 主人と私は共通の目標に向かっています。
 「今日は良かったね」と私が言うと、主人はそうでもなかったようでした。
 私は傷口を広げないように黙ってにっこり笑って「そっか」と言いました。
 「クソー練習するぞ!」と主人は気合を入れてパソコンに向かい黙々と練習しました。

 私はうまくいっているとたかをくくってゆとりでチーズケーキを焼いていると今度は私が失敗してしまいました。
 主人は、神業的にうまくいっていました。

 「一生懸命すれば知恵が出る」、まさに主人はその通りでした。

 二人で学び合って、経験を心に深く刻み目標を達成していきます。
 情熱×情熱=目標達成
 1982年末、マークラは、今すぐ後任を探しなさいと妻から最後通告をつきつけられる。
 ジョブズとマークラは、ジェリー・ローチにヘッドハンティングを依頼する。
 求めたのは技術系ではなく、消費者向けのマーケティングに詳しい人物、広告や市場調査の知識があり、ウォールストリートが歓迎するような企業人だ。
 ローチが推薦してきたのは、当時、消費者向けマーケティングの名手といわれていたジョン・スカリーである。

 クリスマスにロサンゼルスに行き、前妻の子どもたちを連れてコンピュータショップに出かけたスカリーは、アップルはマーケティングがあまりに下手だと嘆いた。
 なぜ、コンピュータに興味を持つのかと不思議に思った子どもたちに、これからクパチーノでスティーブ・ジョブズに会う予定だからと答えると、二人とも目が丸くなった。
 まわりに映画スターがたくさんいる環境で育った子どもたちだが、彼らにとってはジョブズこそセレブだったのだ。
 そういう話なら、そのジョブズの上司になるのも悪くないかもしれないとスカリーは思った。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 今まで、マックへの情熱を持っている人を採用してきたジョブズさんでしたが、スカリーさんはそうではありません。
 「ジョブズの上司になるのも悪くない」という動機では社長として不安ですが、情熱の有無よりもマーケティングの名手を社長にしようとしたということは、企業経営にはマーケティングが重要ということです。
 売上を上げると同時に利益を上げていく仕組みをどう作っていくのかが重要です。

 利益が上がれば、それで優れた人材がまた集まり、資金をかけて優れた開発や研究ができ、好循環していきます。
 そして社会貢献できます。

 私たちが豊かで、売上に協力できることは社会貢献していることでもあります。
 だから、豊かでいることです。
 次の研修会は1983年1月末におこなわれた。
 4カ月前、「妥協するな!」と書いたばかりだったが、今回は「出荷するのが真のアーティスト」だ。

 もうひとつは「海軍に入るより海賊になろう」だ。
 どのようなものにも立ち向かう反逆者魂を持ってほしい、むちゃくちゃをしながらどんどん先に進む冒険好きになってほしい、自分たちがしていることに誇りを持ちながら、まわりから次々と盗むチームになってほしい、と思ったからだ。

 問題をきちんと理解していれば反論してもジョブズは怒らないし、にっこり笑って褒めてくれることもある。
 必要なら指示を黙殺しても大丈夫なのだ。
 その結果うまくいけば、権力を無視する意志の力や反逆者精神が評価される。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 「海軍に入るより海賊になろう」を私の翻訳機を通して解釈すれば、「意志の強さを持とう」「どんどん挑戦しよう」「秩序を守りながらいいアイデアを活用しよう」ということになります。

 反論も、ジョブズさんを納得させるほどの自信と説得力があれば理解されたのでしょう。
 権力者に反論するのは相当の覚悟がいります。
 強力な意志の力が必要です。

 大きな犬に小さな犬が「キャンキャン」吠えるだけでは投げ飛ばされるだけです。
 1982年9月の研修会は、モントレーにほど近いパハロ・デューンズでおこなわれた。
 ジョブズは正面のテーブルに座ってしばらくしゃべったあと、イーゼルのところに行き、自分の考えを書きはじめた。
 最初に書かれたのは「妥協するな」だった。
 完成予定日については、一応示したあと、「おかしなものを作るくらいなら、遅れたほうがましだ」と宣言。

 続けて書いたモットーは「出荷の瞬間まで完成ではない」だった。
 次の一言は「旅こそが報い」(ジョブズが大好きな言葉だそうだ)

 最後にジョブズは、卓上日記ほどのなにかを取り出した。
 ふたを開くとコンピュータが現れた。
 キーボードとスクリーンがちょうつがいで一体化された、ノートのようなマシンだ。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 「妥協するな」
 「出荷の瞬間まで完成ではない」
 そんなふうに妥協の許されない張りつめた仕事をされている方は多いこととと思います。
 厳しいお仕事をされているみなさんのお蔭で日々幸せに暮らせることに感謝いたします。

 良い仕事をするために妥協が許されない日々を過ごして心身が疲れることと思います。
 メンタルの強さも重要になります。

 歳を重ねるとともに穏かに生活したくなりました。
 「妥協する」というのは、穏かに生活するために必要だったりします。
 マックをリサ互換にしたくないとジョブズが考えたのは、対抗意識や復讐心だけが理由ではなく、その根底には、管理・統制を強く求める心があった。
 偉大なコンピュータにするために、ハードウェアとソフトウェアの結びつきを強化しなければならない。

 ジョブズは、このなにからなにまですべてウィジェットするアプローチで、iphoneやipod、ipadなど、きわだつ製品をいくつも作ることになる。
 たしかにすごい製品は作れるが、市場を占有するのに適した戦略になるとはかぎらない。

 ジョブズは、マッキントッシュのキーボードから矢印キーをなくしてしまった。
 カーソルを動かす方法はマウスだけ。
 旧来のやり方に慣れたユーザーにもマウスを使わせようというわけだ。
 顧客の要求を満たすよりも偉大な製品を作ることを優先する姿勢が表れた一例といえるだろう。

 マッキントッシュはジョブズの望みどおり、厳しく管理された環境を維持するが、それは同時に、マレーがおそれたとおり、IBMクローンの世界で業界標準になれないことを意味した。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 iphoneやipod、ipadなどを持たない私にとってその魅力はまったく分かりません。
 発売当日には毎回行列ができるほどの人気なので素晴らしいものなのでしょう。

 ジョブズさんがこだわったマウスはもう使うことが少なくなりました。
 パソコンはどんどん進化して旧来のやり方に慣れた者たちはついて行くのが大変です。

 しかし、こうやって様々な会社が自社の製品の開発に努力していって便利になっていくので感謝します。