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春

Author:春
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 1997年8月のマックワールドにおけるクライマックスは、ジョブズが投下した爆弾発言だった。

 「アップルは生態系のなかで生きている。ほかのパートナーから支援を受けることも必要なんだ。否定的な関係は業界の誰にとってもプラスにならない」
 「新しい提携をひとつ、ここで紹介したいと思う。とても重要な意味を持つ提携、マイクロソフトとの提携だ」

 アメリオ追放によってトップ問題がそれなりに決着したとき、ジョブズは、ゲイツにも電話で説明した。
 状況を好転させてみせると話したんだ。
 僕が必要なのは、マック用アプリケーションの開発を続けるという約束と、僕らの成功、不成功がマイクロソフトにも影響するようアップルに投資してもらうことだ、とね。

 この日、アップルの株価は33パーセントも急騰し、26ドル31セントで引けた。
 アメリオが辞任した日に比べればほぼ倍である。
 棺桶に片足を突っ込んでいた会社が生き返ったのだ。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅡ」(講談社)に書いてありました。

 ネクストとピクサー、ネクストとアップル、アップルとマイクロソフト、シナジー効果で成功していくようです。
 シナジー効果(相乗効果、共同作用)のことは、7つの習慣に書いてありました。
 (青文字クリックでそのページへ行きます)
 大きな目標を達成するときとても大切なことです。

 私にとってのシナジー効果の活用は、たくさんの練習をしてたくさんの例を経験することだと思いました。

 「ヒヨコのオスとメスを判別する人のように、1秒で判断できる」と師匠が言っています。
 「練習95、本番5」と言っています。

 練習はかなり上手になりましたが本番にその通りできません。
 まだまだ練習が足りません。

 私の作った問題を主人にやってもらって、「師匠はそこでこうしているよ」と正解を言っています。
 次は、反対になって私が問題に取り組みます。
 ふたりで勉強することでシナジー効果をさらに発揮して上手になると思います。
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 ジョブズがアップルに深くかかわっている証拠がいろいろと出た結果、株価は13ドルから7月中に20ドルまで回復する。

 1997年8月、ボストンで開催されたマックワールドに集まったアップルファンのあいだには、震えるほどの興奮が体中に広がってゆく。
 「アップルコンピュータを買う人というのはちょっと変わっていると思う。アップルを買ってくれる人は、この世界のクリエイティブな側面を担う人、世界を変えようとしている人々なんだ。そういう人のために我々はツールを作っている」

 ジョブズは、彼とアップルの「我々」はひとつなんだとはっきり示したのだ。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅡ」(講談社)に書いてありました。

 ジョブズさんの「すごいものを作りたい」は、自分本位ではなく、ユーザーのためだということがわかります。
 ユーザーに喜んでもらうことが、自分の喜びだったのかもしれません。
 それが、人気の要因なのかもしれません。
 ジョブズさんの人気は株価にも表れました。
 ジョブズさんが関われば成功するに間違いないと多くの人が思った結果です。
 
 最もクリエイティブなジョブズさんが、「アップルを買ってくれる人は、世界のクリエイティブな側面を担う人」と言ってくれたのだから、アップルとジョブズさんをもっと好きになってしまったことは確かです。
 ジョブズさんはそういう話術に長けています。

 なにをしたら相手が喜ぶか、なにを言ったら相手が喜ぶかを考えることも大事です。
 なにをしたら上手くいくか、どうしたら上手くいくか考えることも大事です。

 「練習のやり方を工夫してください」と師匠が言っています。
 主人のアイデアを参考に師匠の動画を聴きとってパソコンに入力する作業を続けています。
 主人が入力したものに私が挑戦したら、とても上手にできました。
 師匠の言葉を入力していくうちに頭に入っていったようです。

 「シンク、シンク、シンク、考えて、考えて、考えて、考えると気づく」と師匠が言っています。
 気づく力がクリエイティブにします。
 新しい勉強方法、練習方法を創造的にどんどん試していこうと思います。
 今度は敬意を持てない取締役会のもとでは仕事ができないと不満をもらす。
 「取締役は全員、辞めてくれ。そっちが辞めないのなら僕が辞め、月曜日から出社しない」
 例外として残っていいのはウーラードだけというのだ。

 1997年7月末、取締役の交代を承認する最後の取締役会が開かれた。
 取締役の辞任が承認されるとともにジョブズが取締役に選任され、ウーラードとジョブズに新しい取締役の選定が一任された。

 その後何年もかけ、ジョブズはしっかりしたリーダーをアップル取締役会に迎えてゆく。
 人選のポイントは忠誠心で、極端といえるほど忠誠心を求めることもあった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅡ」(講談社)に書いてありました。

 ストックオプションを引き下げた上に、取締役の交代を承認させるというのは、取締役の方たちにとってはかなり厳しい改革でした。
 ウーラードさんはジョブズさんを高く評価していたので、忠誠心を重視したジョブズさんがウーラードさんを残したのは納得できます。
 ジョブズさんは、いつも自分の思う通りにしたい人ですから忠誠心のある人が都合がいいです。

 ジョブズさんは自分の信念に自信を持っていました。
 アップルで世界を変える。
 アップルで世界を良くする。
 という強い大きな信念があったからそうしたのだと思います。

 主人は目上の方に対して、とても忠誠心があります。
 私は、目上の方でも間違ったことをすると許せませんでしたが、黙って我慢することはできるようになりました。
 それは、間違っていると思うのは自分の勝手な思いで、相手は正しいと思ってそれをしているのだとわかったからです。
 相手に敬意を持つことは大事です。

 まだまだ未熟なので、師匠がそこでどうしてそうするのか理解できなくて、師匠と同じようにできませんでした。
 30年のキャリアの師匠がする通りできるように、師匠の技を頭に擦り込もうと思いました。
 頭の中の取締役交代をしています。
1227ロールケーキ、フロランタン、チョコブラウニ

忙しかったので、やっとクリスマスケーキを作りました♪
苺ロールケーキは、明日両親に持っていきます♪
お正月のお客様用にフロランタンチョコレートブラウニーも作りました♪

(青文字クリックでそのレシピのページへ行きます)
 優秀な社員の流出を止めなければならないと考え、ストックオプション(自社株購入権)の価格改定も計画する。
 株価の大幅下落でオプションは価値がなくなっていた。
 だから、権利行使価格を引き下げ、ストックオプションに価値を取り戻そうというのだ。

 ほかの取締役はいずれも反対した。
 「みんな、これが嫌だと言うなら、僕は来週月曜日から出社しない。これよりずっと難しい案件をこれから何千も決めていかなければならないのに、君たちが支援してくれないのではうまくゆくはずがない」
 この件については承認することになった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅡ」(講談社)に書いてありました。

 ジョブズさんは、いつも優秀な人材にこだわりました。
 だから今度は優秀な人材の流出を警戒しました。

 1991年には、ピクサー社員が全員、ストックオプションを放棄するなら私財を追加投入すると約束しました。 
 
 ピクサーのときは、ストックオプションを放棄させることで、業績が向上したときに株式を売却して資金を得て退職してしまうおそれを避けることができました。

 今回のようにストックオプションの権利行使価格を引き下げて付与することで、
 ① 会社の価値を上げるという一致した目的を持ち、自分の関与する部門だけではなく全社的な視点を持つことができるようになります。
 ② 権利を行使するまで退職することが損だと考えさせ、人材の流出を防止することができます。
 ③ 業績を向上させることによるリターンを求める優秀な人材を社外から獲得することができます。
 ④ 権利を付与するだけで、現金支出の必要がなく、むしろ現金が流入します。

 すでにストックオプションを持っている取締役にとっては、一時的に権利の価値が下がってしまうので反対するのはよくあることです。
 それを承諾させたのは、おそらく、①~④などの説明を具体的にわかりやすく情熱的に力説したのだと思います。
 ジョブズさんには、イエスと言わせてしまう力がありました。

 ジョブズさんはアップルを生き返らせるために社内改革をしました。
 私は、今月苦戦しているので脳内改革を始まました。
 「あのころはピクサーの株式を公開した直後で、僕はピクサーCEOという立場に満足していた。

 株式公開企業2社のCEOを務めた例なんて、短期でさえ、僕が知る範囲ではいなかったし、そんなことをして法的に問題がないのかどうかもよくわからなかった・・・・・家族との時間も大事だったし。本当に困っていた。

 ああ、僕はアップルが大事なんだと気づいたんだ・・・作ったのは僕だし、あったほうがいい会社だからね。だからあのとき、アップルが新しいCEOを見つけるまで、一時的に戻ることを決めたんだ」

 1985年に追い落とされてからちょうど12年、とうとうスティーブ・ジョブズがアップルの舞台に返り咲く。

 ジョブズが承認した発表文書には、「90日間、アップルへの関与を増やし、新しいCEOが見つかるまでアップルを支援することに同意した」とあった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅡ」(講談社)に書いてありました。

 こだわるジョブズさんにとって、ピクサーも大事、アップルも大事、家族も大事で、大事なものを守るための葛藤は想像以上だったと思います。

 大事なものがたくさんあるとき、優先順位をつけます。
 今しかできないこと、今やらなければならないこと、一番楽しいこと、一番喜ばれること、一番大事なことを考えます。

 忙しくて自分の時間をあまり持てなかった私が、今たくさん時間をもらっています。
 この与えられた時間を有効に活かそうと思います。
 読書、ブログ、お菓子作り、料理、洋裁、バドミントン、・・・・・やりたいことがたくさんありますが、選択して集中することが必要です。
 今一番やるべき勉強の時間を増やすことにしました。
 6月の取締役会で、アメリオには退出してもらって取締役のみの会議とした上で、ウーラードは選択肢とその成功可能性について次のように示した。

 「今のままギルをCEOとした場合、倒産を避けられる確率は10パーセントしかないと思う。彼の首を切り、CEOになるようスティーブを説得できれば、生き残りの確率は60パーセントになる。ギルの首を切り、スティーブに戻ってもらえず、新しいCEOを探さなければならなくなった場合、生き残りの確率は40パーセントだろう」

 取締役会は、ジョブズに帰り咲きの打診をすること、また、いずれにせよ、7月4日に電話で臨時取締役会を開くことを決議する。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅡ」(講談社)に書いてありました。

 ジョブズさんがCEOになれば、アップル生き残りの確率が一番高いと予想された要因は何だったのでしょうか。
 アップルを成功させ、ピクサーを成功させた実績が買われたのでしょうか。
 アップルやピクサーを成功させた情熱が、今回もある、それ以上にあるとウーラードさんは評価したのだと思います。
 どん底から這い上がる力が強いと見込まれたのだと思います。
 ジョブズさんなら不可能と思われることも可能にする力があると感じたのだと思います。

 「負けた時の方が自分の課題が見え、新しいことを試しやすいので強くなるチャンスといえます。スランプと考えることはなく、自分に原因があると思っています」と囲碁の井山名人が言っていると師匠が言っていました。

 チャンスはたくさんあると思いました。
 私の課題は、練習と同じように本番もできるように自信をつけることです。
 自信をつけるためにたくさん勉強しようと思いました。

 主人のアイデアを参考に問題を作っています。
 師匠の動画をプリントスクリーンで貼り付け、師匠の考え方を書き込んでいき、それで正解を作っています。
 読書したことをブログに書く作業と同じように、師匠の言葉を漏らさず聴いて書き込もうと思うので、聴き方も真剣になります。
 いい勉強方法を見つけました。
 この問題を何回も解いて練習すれば、成功の確率がアップすること間違いありません。
 ジョブズは、自分が信頼する部下をアップルの要職に就けはじめる。
 腹心の部下を要所に配置すると、今度はでたらめに広がった製品ラインに手をつける。

 1997年2月は年次株式総会があり、アメリオは、1996年の第4四半期の売り上げが前年同期比で30パーセントも落ち込んだ理由を説明しなければならなかった。
 デュポン社の元CEOでアップル取締役会長を務めるエド・ウーラードはアメリオの説明を聞いていて愕然とした。
 アメリオは、ウーラードの支持を失った。
 メディアもアメリオの敵となった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅡ」(講談社)に書いてありました。

 企業は厳しい世界です。
 CEOとはいっても油断ができません。
 企業戦士はたくさんいて次々に交代していきます。

 専業主婦の私はなんて温い世界で満足しているのでしょう。
 ぬるま湯につかっていては風邪をひいてしまいます。
 火をつけなければ。

 昨日、主人がとてもいいアイデアを出してくれたので、それを参考にしていい問題集を作りだしました。
 これで繰り返し勉強していけば来年は今年よりもっと飛躍すること間違いありません。
 ジョブズの場合、人々にすごいと思われるモノを作る・・・それこそが自我が求めるもの、己のうちから湧き上がる衝動なのだ。
 ひとつは画期的で世界を変えるような製品、もうひとつは連綿と生き続ける会社だ。
 そのためにはアップルに戻り、王国を取り戻すのが一番だった。

 1997年1月、マックワールドにジョブズは駆り出された。
 2時間あまり、とりとめもない話をしたあと、アメリオは、ようやく、皆が待ち望んでいた人物を紹介する。
 ジョブズの登壇だ。
 会場は総立ちとなり、1分あまりも大騒ぎが続く。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅡ」(講談社)に書いてありました。

 「己のうちから湧き上がる衝動」、残念ながら今の私にはありません。
 ここがすごい人との違いだと思いました。

 ときどき情熱が沸き上がります。
 そういうときはプラスに心が動きはじめたときです。
 成功を信じて胸を膨らまし動きはじめたときです。

 ジョブズさんは成功を信じる心が強いです。
 それは自分に自信があるからです。
 その自信は、義理のご両親に愛されて育てられて、潜在意識のなかに「大きな自尊心」があるからだと思います。

 自分を褒めて、もっと好きになろうと思いました。
 そのためには褒められる行動をしようと思いました。

 早起きをして、充実した時間を過ごすのが好きです。
 そういう自分を偉いと思えます。
 寒くて早起きが苦手になっていましたが、5時に起きて勉強などをすることを復活させることにしました。
 発表当日、これ以上待てないアメリオはジョブズをオフィスに呼んだ。
 仕方なく、ジョブズは答えた。
 「なにか発表しなきゃいけないというなら、会長のアドバイザーとしておいてくれ」

 発表の翌日、ジョブズはピクサーに出社した。
 日に日にピクサーが好きになっており、アップルに戻っても自分はピクサーの社長として深く関与してゆくと社員に知らせたかったのだ。
 ピクサーの人々は、ジョブズが非常勤でアップルの仕事をすることに大喜びだった。
 
 ジョブズはラセターのオフィスへ向かい、「このせいで家族の時間がどれだけ減るだろうか、また、僕のもうひとつの家族、ピクサーとの時間がどれだけ減るだろうかとずっと考えていた。でも、アップルがあったほうが世界は良くなる。そう信じるからやりたいと思うんだ」
 ラセターは優しくほほえんだ。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅡ」(講談社)に書いてありました。

 ジョブズさんは、アップルとネクストとピクサーと家族、どれも大切な存在でしたのでアップルのアドバイザーという立場を選びました。
 冷酷な面を持つジョブズさんでしたが、大切にしたたいものがたくさんになって素敵になったなあと思います。
 それは、奥様に理解され深く愛されていたからかもしれません。

 「アップルがあったほうが世界が良くなる」
 『そのアップルには自分が必要だ。大切な家族と過ごす時間をアップルに少し分けてもいいのではないか』と思ったのではないでしょうか。

 そういう考え方で自分の道を選択したことはありませんでした。
 存在価値を考えることは大事です。
 能力を最大限活かして存在価値のある生き方をしようと思います。
 ジョブズさんのように偉大な業績を残すようなことはできませんが、主人と一緒に家族の模範的リーダーになろうと思います。
 1996年12月2日、スティーブ・ジョブズは、追放から11年ぶりにアップルのクパチーノキャンパスに足を踏み入れ、役員用会議室でアメリオ(アップルCEO)とハンコック(アップル最高技術責任者)を前にネクストの売り込みをおこなった。

 ネクストとビーの最終決戦は、12月10日、パロアルトのガーデンコートホテルでおこなわれた

 アメリオはジョブズを選んだ。
 アメリオは1株10ドル、総額4億ドル強を提示する。
 予想以上の好条件にジョブズは驚いて、すぐさま承諾する。
 支払いは1億2000万ドルの現金と3700万株でおこない、株式は少なくとも半年は保持ずるという条件で合意した。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅡ」(講談社)に書いてありました。

 追放されて落ち込んでいたジョブズさんが、ネクストの売り込みに行けたのは、ピクサーの成功で確かな自信を得たからではないでしょうか。
 低迷している愛するアップルを救えるのは自分しかいないと思ったのではないでしょうか。
 「ネクストとアップル両方にとっていい方法はこれだ!」とジョブズさんはひらめいたのではないでしょうか。

 成功するには、競争するより協力することと「お金の科学」に書いてありました。

 師匠の塾生たちのなかにはグループを作って勉強している人たちがいるそうです。
 仲間を引きずり下ろすより仲間と協力して切磋琢磨していった方が数倍成長が早いです。

 「できないことは人に任せればいい」と主人が急に言い出しました。
 できないことを補い合えば、成功すること間違いなしです。
 主人が仕事で勉強できない間、私はたくさん勉強します。
 そして、私たちは一緒に、また毎晩練習することにしました。
 ジョブズがネクストコンピュータを発売した1988年、業界には衝撃が走ったものの、1年後、実際にコンピュータが発売されると尻すぼみとなる。
 その1年後には、ハードウェアの製造をあきらめた。

 1990年代半ばのジョブズは、結婚生活と映画産業での成功に喜びを見出していたが、パーソナルコンピュータ業界には絶望していた。

 アップルの市場シェアは、1980年代末の16パーセントをピークに下がり続け、1996年には4パーセントとなった。

 CEOに就任直後にこの状況を把握したギル・アメリオは、パートナーが必要だった。
 安定したオペレーティングシステムを提供してくれるパートナー、できればユニックスと似ており、オブジェクト指向のアプリケーション層を持つものを作ってくれるところがいい。

 アップルは、ネクストと、ジャン=ルイ・ガゼーが興した会社、ビーに目をつけた。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅡ」(講談社)に書いてありました。

 このころジョブズさんは、ネクストに絶望し、ピクサーに情熱を注いで1995年には「トイ・ストーリー」で大成功していました。
 一度は崖から落とされたジョブズさんが華々しい成功をしていった様子を見て、アメリオさんたちはアップルのパートナーに欲しいと思いはじめたのではないでしょうか。

 人生には良いときも悪いときもあります。
 悪いときの生き方でも人生が変わります。
 
 先々月、少し悪い成績でした。
 先月は、生まれて初めての好成績でした。
 今月は、最悪です。
 ここをうまく乗り切る方法を勉強するときです。
 もっと、真剣に勉強することにしました。
 IPOの大成功で、ピクサーはディズニーの資金に頼らず映画を作れるようになった。
 ジョブズは、ピクサーの映画であると同時にディズニーの映画だとしたかった。

 そのころカッツェンバーグはアイズナーと仲たがいをして退社し、ドリームワークスSKGを創設していた。

 ピクサーとの契約見直しに応じないなら、3本でディズニーとさよならして別のスタジオと仕事をする、カッツェンバーグのところでもいい、とジョブズは斬り込む。
 対するアイズナーは、それなら、ラセターが生み出したウッディーやバズなどのキャラクターを使い、『トイ・ストーリー』の続編を自分たちで作るとやり返す。

 結局、その後制作する映画についてはピクサーが半額を負担し、その見返りとして利益も半分受け取ることにアイズナーは合意した。

 ジョブズはすばらしい製品を作る人物として有名だが、じつは、価値あるブランドを持つすばらしい会社を作る能力も同じくらい優れている。
 なにせ、アップルとピクサーという、時代を代表する会社をふたつも作ったのだから。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 ウォズさんが思いついて作ったマシンを製品化することで、アップルが誕生しました。
 ゼロックスPARCが開発中の技術を見て、安価なマシンを提供する方法を思いつき商業化しました。
 ラセラーさんたちが考えたアニメーションを現実化することで、『ティン・トイ』や『トイ・ストーリー』を成功させました。 

 アイデアを現実に実行できる人は多くありません。
 アイデアを現実化させる情熱がそこにはあったと思います。
 目的を達成させる情熱をもち続けたいと思います。
 ディズニーと対等になるにはお金がいる。
 つまり、IPO(新規公開株)を成功させる必要があった。

 株式公開は、『トイ・ストーリー』公開のちょうど1週間後だった。
 ふたを開けてみるとジョブズさえ想像もしなかったほどの成績だった。
 この年最大のIPOとなったのだ。

 1995年、同じ年の初めころ、ジョブズは、投入した5000万ドルさえ回収できればいいとピクサーの買い手を探していた。
 公開初日、彼が持つ株(ピクサーの80-パーセント)はその20倍以上、12億ドルの価値を持つようになった。
 これは、1980年のアップルIPOでジョブズが得た資産の5倍ほどにあたる。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 1994年の2月に『トイ・ストーリー』の制作の再開がはじまって、当初はピクサーを売りたいと思っていたのが、映画界を根底から変えるかもしれないと情熱を燃やすようになって、この情熱がまた成功しました。

 映画の成功と株式公開を組み合わせるという考えを思いつくところは、流石ジョブズさんです。
 「株式公開で得たお金の半分で自分たちの映画を作り、ディズニーと契約交渉をやり直すという計画」
 ディズニーと対等に交渉ができるようにするという考えを持つというのはすごいことです。

 不可能はないと信じているんだなぁと感じます。
 現実歪曲フィールドを自分自身で証明しています。
 私も現実歪曲フィールドを信じます。
 1995年11月、『トイ・ストーリー』のプレミアムイベントは2か所でおこなわれた。

 ひとつはディズニーが主催したもので、古い歴史をほこる豪華な映画館、ロサンゼルスのエル・キャピタンでおこなわれた。
 来客のほとんどはディズニーが選んだ人々で、ジョブズは顔さえも出さなかった。

 翌晩にサンフランシスコにある有名映画館、リージェンシーを借りて自分たちのプレミアムを開催する。
 スティーブ・ジョブズと有名人が集まった。
 映画の紹介も、ラセターではなくジョブズがおこなった。

 最初の週末で制作費に匹敵する3000万ドルという全米興行収入をあげ、最終的には全米1億9200万ドル、世界3億6200万ドルという成績でこの年最大のヒットとなった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 一度は『トイ・ストーリー』の制作を中止させたディズニーに対して、個人資産を出して制作を続行させたジョブズさんは、『トイ・ストーリー』は自分たちが完成させたのだと言いたかったのでしょう。
 「もっと良いものを、もっと良いものを創ろう」というジョブズさんたちの情熱があったから完成したのだと言いたかったのでしょう。

 バズとウッディーは、はじめは対抗心を燃やしていましたが、協力して家に帰ることができました。
 ディズニーとピクサーは、対抗心を燃やして切磋琢磨していったのでしょうか。
 けれど、資金提供を受けディズニーという名前で配給できたことは感謝すべきところであります。

 成功するためには、情熱が必要です。
 成功するためには、たくさんの方の協力に感謝することも大切です。
 3カ月後、新しい脚本が完成した。
 ウッディーは、アンディーのおもちゃたちを力で抑える暴君から賢いリーダーに変貌。
 カッツェンバーグらもこの脚本を承認し、1994年2月、映画の製作が再開される。

 この一件で、ジョブズはディズニーに対してもっと強くなる方法を模索しはじめる。
 制作が進むにつれ、ジョブズは自分の血が騒ぐのを感じた。
 ウッディーやバズが生き生きと動きまわるのを見て、自分は映画産業を根底から変えようとしているのかもしれないと気づいたのだ。
 映画のシーンがひとつずつ、できていく。
 ジョブズは、それを繰り返し見るとともに、友人を招き、新たに見つけた情熱について熱く語った。

 ジョブズは、『トイ・ストーリー』が公開される11月にピクサーの株式を公開しようと考えた。
 「そのお金が必要だ。その半分を使って自分たちの映画を作り、ディズニーと契約交渉をやり直すんだ」

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 『トイ・ストーリー』を制作しながら、「これはイケる!大成功間違いない!」と思ったのだと思います。
 「もっと良いものを、もっと良いものを創ろう」と、情熱が湧いていったのでしょう。

 アップルが新規公開株になったとき莫大な利益を得たように、ピクサーも同じようになると感じたのでしょう。
 新規公開株で利益を得る方法はよく聞きます。

 大きな目的を達成するためにお金が必要なことは多いです。
 お金を増やす方法を知っておくことも大切です。
 カッツェンバーグは、主人公ふたりのキャラクターをもっととげとげしくしろと強く要求した。
 打ち合わせをへて、ウッディーは魅力の大部分をはぎ取られてしまった。

 ラセターたちピクサーのチームは、1993年11月に映画の前半を完成させ、バーバンクでカッツェンバーグらディズニー役員を前に上映をおこなった。

 「どうしてこんなにひどいものになったんだ?」
 と同僚のトム・シューマッハにカッツェンバーグがたずねた。
 「彼らの映画ではなくなったからでしょう」
 ラセターも同意見だった。

 カッツェンバーグとシュナイダーから『トイ・ストーリー』の中止という指示を受けたとき、ジョブズは、自分の個人資産で制作を続行させた。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 ジョブズさんは、ラセラーさんが絵コンテで実演をし情熱的に語った「ティン・トイ」のような作品に、『トイ・ストーリー』もなることを確信していたのだと思います。
 
 『トイ・ストーリー』が制作続行になって本当に良かったです。
 『トイ・ストーリー』は子供と楽しめるとても良い映画でした。
 バズに対抗心を燃やす可愛いウッディー、友だちを思いやるやさしいウッディーはとても素敵でした。
 バズもウッディーもヒーローでした。
 古い物にも新しい物にもそれぞれに良さがあることを感じました。
 対抗心を燃やしていた者同士が協力し合って目的を達成していく姿がとても素敵でした。
 ジョン・ラセターが提示したアイデアは『トイ・ストーリー』だった。

 その背景には、製品には本質、つまり、その製品が作られた目的があるという、ラセターとジョブズが持つ信念があった。
 モノが感情を持つなら、その本質を全うしたいという想いが基本にあるはずだ。

 コンピュータスクリーンの本質は人と人とのインターフェイスになること。
 おもちゃの場合は、その目的は子供に遊んでもらうことであり、彼らがもっともおそれるのは捨てられたり、新しいおもちゃに取って代わられたりすることだ。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 1990年頃からリサイクルへの関心が高まって、私はリサイクルグループを作りました。
 捨てるということに抵抗を感じていたころです。
 同じような想いで『トイ・ストーリー』が誕生しました。
 モノに感情移入させて映画を作ってしまうところが、天才たちのすることは違います。

 捨てられたという想いがジョブズさんにはあったので、余計に『トイ・ストーリー』に情熱をかけたのではないかと思います。
 捨てられるというのはとても悲しいことです。
 だからこそ、ジョブズさんはモノ選びにこだわる人になったのかもしれません。

 「その製品が作られた目的がある」

 斎藤一人さんは「死んだら聞かれることがある」と言っています。
 「あなたはこの人生を楽しみましたか?人にやさしくしましたか?と聞かれる」と言っています。
 私というモノは、「人生を楽しむこと」「人にやさしくすること」を目的として作られたと考えたいです。
 「不可能なことをなし遂げるのもおもしろい」
 ウォルト・ディズニーの言葉だ。
 このような心構えはジョブズが好むところでもある。
 
 ウォルト・ディズニー社はピクサーのCAPSを導入し、ピクサーコンピュータ最大の顧客となっていた。
 ある日、ディズニー映画部門のトップ、ジェフリー・カッツェンバーグがジョブズをバーバンクのスタジオに招き、導入した技術が実際に使われているところを見せてくれた。
 見学していたジョブズは、カッツェンバーブにディズニーと映画を作りたいと言った。

 カッツェンバーグとジョブズ、情熱にあふれたふたりの交渉は何カ月も続いた。
 ピクサーは倒産寸前で、この契約の必要性はディズニーよりもピクサーのほうがはるかに高かった。
 1991年5月、最終的に合意した契約は、映画とキャラクターの所有権はすべてディズニーとし、ピクサーには興行収入の約12.5パーセントを支払うというものだった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。
 
 1990年代、Apple コンピューターで動作する 国産3Dグラフィックソフトは200万円近くしました。
 ハイエンド3DCG製品が動作するコンピュータは、システム全体で1500万円以上しました。
 高価なので限られた市場でしか購入されませんでした。
 けれどそのシステムの重要性や可能性をジョブズさんは信じたのだと思います。
 一点の灯りを見つけて、それを大きくしていく力をジョブズさんは持っていました。

 灯りは見つけました。
 それを大きくしていく力を育てていく必要があります。
 先月は大成功しました。
 今月は苦戦していますが灯りは消えていません。
 やり方次第で大逆転し大成功すると信じています。
 1991年3月18日、36歳のスティーブ・ジョブズは27歳のローリン・パウエルをめとった。
 自宅は、ぽつんと1軒だけ建っていて、お化け屋敷のような雰囲気さえ感じるウッドサイドの邸宅ではなく、パロアルト旧市街の、子連れに人気のエリアに控えめですてきな家を買い、そちらに住むことにした。
 リフォームは4カ月の予定だったが、ジョブズがあれこれ変更したため16カ月もかかったそうだ。
 裏手の小さな家も買い、建物を壊して庭にした。

 「私たちは家具とはなんぞやという話を8年もしました。ずいぶんと時間をかけ、なんのためにソファーを買うのかといったことを考えたのです」とパウエルは言う。
 家電製品の購入も哲学的な作業で、衝動買いなどありえなかった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 大嵐のような恋愛遍歴を持つジョブズさんでしたが、ピクサーで「ティン・トイ」を制作したり、アニメーションを制作したりしていくうちに変わっていったのでしょうか。

 けれどこだわるところは変わっていません。
 主人に、家具とはなんぞやという話を8年もされたら、我慢できるか自信ありません。 
 主人が何十億も資産を持っていたら我慢しちゃうかもしれませんが、幸い我慢する必要はありません。
 融通の利く主人が私にはあっています。

 世界を変えるような天才の奥様はそういう我慢強さも必要です。
 メンタルを鍛える必要があります。
 ここまでにジョブズは5000万ドル近い自己資金をピクサーにつぎ込んでいた。
 アップルで得たお金の半分以上だ。
 ネクストも赤字だった。
 1991年、ピクサー社員が全員、ストック・オプション(新株予約権)を放棄するなら私財を追加投入すると約束した。

 一方、芸術と技術の融合については夢を見続けていた。
 優れた芸術とデジタル技術を組み合わせれば従来のアニメーションを一変させられるという直感は、まさに先見の明と言えるものだった。

 ハードウェアやソフトウェアの事業が失敗するとわかっていたらピクサーを買わなかったのも事実だ。
 「人生なにが幸いするかわからないもので、あれはあれでよかったんじゃないかと思う」

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 5000万ドルは、今の日本円にすると約60億円です。
 アニメーションを一変させるコンピュータの可能性を信じたから、5000万ドル以上もの私財を投入してラセラーさんたちの情熱に賭けたのでしょう。
 ジョブズさんには世界を変えるという使命がありました。
 使命のために妊娠した彼女を自分の子供ではないと捨てたり、大規模な人員削減をしたり、犠牲になったものもたくさんありました。
 でも最後は、私財を投入して使命を果たそうとしました。

 私が犠牲にできるのは無駄に使う時間です。
 だからテレビはもう半年以上観ていません。
 テレビっ子の私には考えられません。
 大切な時間を使って、みんなを幸せにするために、・・・・・・・を目指しているなんて平凡な主婦だった私には考えられません。

 紆余曲折いろいろあって悲しい思いをさせてしまった人もいるけれど、今はみんな幸せになっているから良かったと思いたい。
 そして、もっとみんなを幸せにするのが私の使命です。
 1988年春、キャッシュ不足が深刻化し、全社的に支出の大幅な削減を命じなければならなくなる。
 ラセターたちアニメーショングループは、次の短編のお金を出してくれとなかなか口に出せなかった。
 ついに切り出すが、ジョブズは難しい顔で黙ったまま。
 ようやく口を開くと、絵コンテはあるのかと聞く。
 ラセターが絵コンテにあわせてセリフをしゃべり、すごい作品になると情熱的に語る姿を見ると、やっと表情が和らいだ。

 説明を終えたラセターに対するコメントは短かった。
 「ジョン、すごいものにしてくれ。頼んだよ」

 この「ティン・トイ」は、1988年のアカデミー賞短編アニメーション賞を獲得する。
 コンピュータで作られたアニメ初の快挙だった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 経営が厳しいときでも、アニメグループの情熱をわかって資金提供をところは流石ジョブズさんです。
 かつて、自分が資金提供をお願いするために支援者を探して熱く語ったように、情熱的に語るラセターさんを見て、アニメーションに新しい可能性を見つけたのかもしれません。
 平均的な消費者には受け入れられなかった、「3Dオブジェクトの陰影を調整し、どのような角度でも正しい影が表示される機能」が活かされ飛躍する可能性がある場所を見つけたのかもしれません。

 相手に受け入れて欲しいとき、それを情熱的に語ることができるか?それに情熱をもっているか?自分に問うことも必要です。
 ジョブズさんが「絵コンテはあるのか?」と聞いたとき、ラセターさんが絵コンテにあわせてセリフをしゃべり、ジョブズさんに作品のすばらしさを伝えることができたから、ジョブズさんのイエスをもらうことができました。

 師匠は「100枚練習できたら送ってください」と言っています。
 何人もの方が100枚、200枚、300枚、1000枚できたと送っています。
 1000枚も練習した人の情熱に比べたら、私の情熱はまったく足りません。
 情熱をもって、もっと練習しようと心に誓いました。
 限られた時間をどう使うかが大事です。
 ピクサーは、平均的な消費者をターゲットとしたパワフルなソフトフェアを開発した。
 開発したソフトウェアのひとつ、ショープレースは、作成した3Dオブジェクトの陰影を調整し、どのような角度でも正しい影が表示されるようにできた。
 ほとんどの消費者は、こんな機能はなくてもかまわないと感じたようだ。
 情熱に目がくらんで道を誤ったのだ。
 ジョブズがいつも要求するシンプルさがなくなってもいた。

 ピクサーはアドビにかなわなかった。
 アドビ社の製品は、機能的にはたいしたことはないが、ピクサー製品ほど複雑でも高価でもなかったのだ。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 どのような角度でも正しい影が表示できる機能が欲しい人は平均的な消費者ではありません。
 天才であるがゆえに平均的な消費者の心が読めなかったのかもしれません。
 家庭にまでコンピュータを広げたいという夢を持ってアップルを始めた頃とは、思いが変わってきていました。

 この頃はバブル絶頂の頃で、「もっとすごいものを、もっとすごいものを」と多くの人が思っていて、その思いがジョブズに伝わって、行き過ぎたのかもしれません。
 良い物が自分の評価より安ければ欲しくなりますが、どんなに良い物が安くても欲しいものでなければ買いません。
 時代は徐々にそうなっていったのかもしれません。

 何を求められているかを知ることは大変重要です。
 状況がいいときにも怒りっぽいのだから、ピクサーの事業がハードウェアもソフトウェアもアニメーションもすべて赤字続きとなったとき、ジョブズは怒りまくった。

 さんざん毒づくが、最後は小切手を切った。
 アップルを追放され、ネクストも失敗しそう。
 3撃目までくらうわけにはいかなかったのだ。

 損失を抑えるため、ジョブズは大規模な人員削減を決断し、彼らしい共感欠損症候群で実施した。
 辞めさせる人に寛大な花道など、感情的にも金銭的にも用意する気がなかった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 怒りまくって最後は小切手を切るのでは、「買って~買って~」と我がままを言ってる子供に、大声でガミガミと怒って最後は買ってしまう愚かな親と同じです。
 論理的に対策を考えて行きたいと思います。

 働く人の後ろには家族がいて、子どもたちはお父さんやお母さんのお蔭でご飯を食べたり、勉強したり、楽しい生活ができます。
 経営者には、従業員の生活を守る責任を考えてもらいたいものです。
 企業はたくさんの人たちの生活を守るためにも利益をあげなければいけません。

 「利益をあげなければならない」と追いつめられた状況のとき、経営者もつらいだろうなと思います。
 何をしたら人が喜ぶか?といつも考えることができたらいいなあと思います。
1205ジン君食事中♪
5日の夕方から娘の家のジン君がお泊りに来ています♪
さっそく夕食です♪

1205夕食中、我慢
私たちの食事中はじーっと我慢です・・・
主人が何かをこぼすのを待っています(^-^)
 
1206ジン君とお母さん好き好き 1206すやすやジン君
両親の家に遊びに行きました♪
両親もとても可愛がってくれました(^-^)

1207ジン君
私の前にちょこんと座り、一緒にお仕事?お勉強?(^-^)

1207ジン君と散歩1 1207ジン君と散歩2
散歩に行きました♪
小鳥のさえずりやコンコンという音に耳を澄まして聴いています(^-^)
 ピクサーは、芸術的創造性と技術系ギークを組み合わせるというジョブズの方針と相性がよかった。  
 1986年1月、ジョブズはルーカスフィルムのコンピュータ部門、ピクサーを買い取った。
 当面の売り上げはハードウェアから得た。
 ピクサーイメージコンピュータを12万5000ドルで販売したのだ。

 ジョブズは、3万ドル程度で販売できる低コスト版のコンピュータを作るよう、ピクサーに圧力をかけた。
 ジョブズはピクサーのコンピュータを大衆市場に販売しようと考え、主要都市に営業所を置いた。
 クリエイティブな人々がいろいろな使い方を見つけてくれるはずだと考えたのだ。

 しかし、一般向けの売れ行きはかんばしくなかった。
 高すぎたし、アプリケーションも少なかったからだ。

 ピクサーには3Dのグラフィックスやイメージを作るレンダリングプログラムがあった。
 アニメーターが描いた絵を映画用セルのカラー画像にレンダリングする作業を自動化したいと考えた会社がひとつあった。
 ウォルト・ディズニー・カンパニーである。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 「クリエイティブな人々がいろいろな使い方を見つけてくれるはず」というのはジョブズさんにしては弱気な考え方です。
 ジョブズさんならクリエイティブな人々が何を求めているかビンビン感じそうです。

 「明日から膝掛を持って行く」と主人からメールがきました。
 「私ので良かったら使っていいよ」とメールすると、「ありがとう、いいの?」と返事がきました。
 明日からと言っているけど、きっと寒くてたまらないのだなあとピンきました。
 「今から持って行くね」とメールしました。
 「ぬくぬくだー」と主人は喜びました。

 何を求めているか?考えることは何においても大事なことです。
 1988年10月12日、サンフランシスコのシンフォニーホールでおこなうネクストコンピュータのワールドプレミアムは自己最高記録のものにしたいと考えた。
 発表会には3000人以上がつめかけ、列を作って開演時間前の開場を待った。

 「高等教育機関に対して、6500ドルという統一価格を提示する」と言うと、忠実なファンから若干の拍手があった。
 しかも、プリンターは別売りで2000ドルもするし、光ディスクでは読み書きが遅いため、2500ドルの外付けハードディスクの購入が推奨というのだ。

 ネクストコンピュータがようやく発売になった1989年半ば、工場は月産1万台の能力があった。
 しかし、販売は月間400台程度。
 美しくペイントされたロボットは、工場でぼんやりと時間を過ごし、ネクストはキャッシュの流出が続いた。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 1988年ころは、バブル絶頂のころで豪華で贅沢なものがもてはやされた時代です。
 ジョブズさんはその象徴になるようなやり方で発表会をしました。
 自分の美学を通してこだわり抜きました。
 それは消費者が心から求めているものではありませんでした。

 安価なマシンを作ってコンピュータを家庭まで広めたいという最初の目標はここには見られません。

 1977年、アップルコンピューターが法人として設立したとき、マークラーさんはジョブズさんに教えました。
 金儲けを目的に会社を興してはならない。
 真に目標とすべきは、自分が信じるなにかを生み出すこと、長続きする会社を作ること。
 アップルは、他の企業よりも顧客のニーズを深く理解する。顧客の想いに寄りそう。

 目の前の人や、周りの人や、社会が自分に何を求めているか?
 そして自分に何ができるか?
 自分にしかできないことは何か?
 と、考えて行動していきたいと思います。
 チップは既製品ではなく、さまざまな機能をまとめたカスタムチップを設計するようジョブズは求めた。
 それだけでも大変なのに、チップの機能をひっきりなしに変更してしまう。
 マッキントッシュと同じように未来的な完全自動化工場を造ることにもこだわった。
 社員にはあいかわらず厳しくあたった。
 
 現実歪曲フィールドは、1985年末の第1回社外研修会でも登場した。
 わずか18カ月後にはネクストコンピュータの出荷を開始すると宣言したのだ。
 じつはこのとき、製品出荷が遅れると資金が底をつくおそれがあったのだ。
 ジョブズは700万ドルの個人資産をつぎ込んでいたが、あと18カ月で製品を出荷して売り上げを立てなければいけない状況だった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 アップルの最初の製品、アップルⅠの誕生はネクストのやり方と違いました。

 まず、プレゼンテーションをして製品を買ってくれる人にアピールしました。
 テレルさんが、50台を品物と引き換えに1台500ドル、キャッシュで払おう提案をしてくれて始まりました。
 部品代は、ねばり強く仕入れ先を探し、30日払いで部品を提供してくれるところを探しました。
 30日で納品しなければならないため、実家のガレージで友達や身内を集め総動員で生産しました。

 ウォズさんとジョブズさんの素晴らしいアイデアと技術を買ってくれるところをまず探し、自分たちにできる範囲内で低コストでスピーディーに生産したから成功したのだと思います。

 斎藤一人さんは、事務所にお金をかけていないそうです。
 冷蔵庫は近くのコンビニだと言っていました。
 一人さんの「ついてる神社」に行ったことがあります。
 間口一間、総面積6坪の見渡す限り神社の小さなお店です。
 そこに、どこにでもあるようなテーブルと椅子があって、ごく普通のお菓子があって、それを頂きながらありがたい一人さんのお話のテープを聴いて神社でお参りさせてもらいます。
 そこが、1993年から、納税額12年連続ベスト10という日本新記録を出した方のお店とは思えません。
 成功の秘訣はここにあると感じました。
 1986年1月、アップルとの示談が成立する。

 損害賠償はなく、アップルが訴訟を取り下げるかわり、ネクストは製品をハイエンドのワークステーションとして販売する、大学に直接販売する、1987年3月以前には出荷しないなど、ネクストが各種の制限に合意するという内容だった。

 アップルの要求により、ネクストのマシンは「マッキントッシュと互換性のあるオペレーティングシステムを使わない」ともされた。

 ネクスト創業から数カ月、ジョブズとダニエル・ルインはあちこちの大学をまわり、意見をたずねて歩いた。

 1986年春、オックスフォードの中心になる出版社を訪れたジョブズは、オックスフォードのシェークスピア全集の著作権料として2000ドルプラス販売されたコンピュータ1台あたり74セントを提示した。
 ネクストには、辞書、類語辞書、オックスフォード引用句辞典もバンドルされ、検索可能な電子ブックというコンセプトの先駆けとなった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 起業することや新しいものを開発することには大変なエネルギーが必要です。
 起業するには、自分の力以上に周りのたくさんの力が必要です。
 昨年、起業しようかなと少し動き出しましたが想像以上に大変でした。
 結局、自分には向かないという結論になりました。
 起業している方、そしてそれで成功している方たちを尊敬いたします。

 主人が、通勤途中やジョギングのときに聴いている電子ブックは、ジョブズさんたちの努力のお蔭だったのかと思い、感謝いたします。
 お蔭で本を片付ける手間が減りました。
 アップルから追放された後に創設した会社で、ジョブズは、良い意味でも悪い意味でも本能のおもむくままに行動した。
 束縛する者もなく、自由だった。
 その結果、華々しい製品を次々と生み出し、そのすべてで大敗を喫する。
 これこそがジョブズ成長の原動力となった苦い経験である。

 その後の第3幕における壮麗な成功をもたらしたのは、第2幕におけるきらめくような失敗の数々なのだ。

 最初に追求した本能は、デザインに対する情熱だった。
 新しい会社の名前はわりと素直な「ネクスト」だった。
 この会社を目立たせるためには世界的なロゴが必要だとジョブズは考えた。
 依頼しようとしたのは企業ロゴのベテラン、ポール・ランドだった。

 新会社のロゴと社名は「Next」から「NeXT」となった。

 と、ウォルター・アイザックソン 著の「スティーブ・ジョブズⅠ」(講談社)に書いてありました。

 ジョブズさんは、なにかにこだわるとき多額の報酬で必ず一流の人にお願いします。
 一流は一流を選びます。

 普通の人が一流になるためには一流に習うことです。

 私たちはネットで一流の師匠を見つけることができました。
 師匠は、自分の技術を広めてみんなを成功させたい、社会貢献したいと思っているところが素晴らしいです。
 ある日、主人は「師匠の塾に入りたい」と言いました。
 「お金は自分で払うから入りたい」と言いました。
 
 師匠が言っていました。
 「ダイヤモンドの鑑定する力を育てるには、たくさん本物を見たあと偽物を見ると一発でわかるそうです」
 「成功例をたくさん見ましょう・・・いいものだけを・・・」

 たくさんの成功例からたくさん学んでいこうと思います。